鉾田市まちづくり推進会議

市民でまちをデザインする団体です。

11月

第9回自然観察会を実施しました(2019年11月17日)

穏やかな晴天に恵まれ、野鳥の出現も活発でした。魚を捕る猛禽類ミサゴ(準絶滅危惧)や、灰色と黄色が美しいキセキレイなど計33種類を観察することができました。11名の参加がありました。

<観察した野鳥(33種類)>
1. オカヨシガモ
2. マガモ
3. カルガモ
4. ハシビロガモ (エクリプス) 
5. コガモ (エクリプス) 
6. カイツブリ
7. カンムリカイツブリ
8. ハジロカイツブリ ・・・ 数羽が散在。
9. カワウ
10. ゴイサギ 若1
11. アオサギ
12. ダイサギ
13. コサギ
14. クイナ or ヒクイナ(声)
15. オオバン
16. タゲリ ・・・ 約30羽の群れが見られた(今期初)。
17. セグロカモメ 1
18. ミサゴ 2 ・・・ 杭の上で魚を食べるシーンや、きりもみのように降下するところを目撃。
19. トビ
20. カワセミ 1
21. モズ
22. ハシブトガラス
23. ヒバリ
24. ヒヨドリ(声)
25. ウグイス(声)
26. スズメ
27. キセキレイ 1 ・・・ 北浦北部では久しぶり。美しい。
28. ハクセキレイ
29. セグロセキレイ 1
30. タヒバリ
31. カワラヒワ
32. アオジ
33. オオジュリン(声)
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【謝辞】平成25~27年度『公益信託「エコーいばらき」環境保全基金』の助成により購入した、青色のスタッフ・ジャンパー、フィールドスコープ、三脚を使用しました。

第20期 ほこた塾 基本講座② 医療過疎県・茨城の医師不足の遠因は戊辰戦争にあり(2019年11月15日)

人口10万人あたりの医師数ランキングによると(2016年・厚生労働省資料)
全国平均は240.1人
トップの徳島県は315.9人
茨城県は46位で180.4人
最下位は埼玉県の160.1人

その茨城の中でも地域別に見ると、
トップのつくばが379.6人、
最下位の鹿行はわずか90.2人
と茨城県の平均の半分しかないという、あまりの格差に驚きました。

講演者は東北大医学部2年の村山安寿氏、若干20歳の医学生で、20年を超える「ほこた塾」の歴史の中で、最年少のフレッシュな講師でした。

北海道生まれの村山氏は沖縄、東京で育ち、中学は北海道、高校は東京となかなかユニークな経歴の持ち主で、小6で将来は世界中の恵まれない人のために働きたいと考えるようになり、高校1年の時に参加したシンポジウムで公衆衛生学を学ぼうと決意したそうです。

講演の内容は、2019年の大学入試の結果から合格者の地域性を分析、考察し、医学部についても分析する中で、国立大医学部が西日本には東日本の2倍設置されていることに疑問を持ったという流れで進められました。

国立大医学部が西日本に多いのは、幕末の戊辰戦争において勝利した新政府軍が薩摩、土佐、長州藩などだったことから大学設立も優遇され、敗北した旧幕府軍の仙台、会津、庄内藩など東日本側は冷遇されたことが要因の1つなのではないかとの考察がなされていました。

さらに茨城県においては、幕末の混乱の中で、天狗党と諸生党の争いによって優秀な人材が失われ、大学の母体となるべき弘道館が消失したことが医学部設立の遅れにつながったのではないかとのことでした。

そして、医師不足解決の方法として、医学部を新設することが最も効果が期待できるのではないかとの結論が提示されました。

講演終了後は活発な質疑応答がなされました。
長州藩の明倫館、岡山藩の閑谷黌と並び日本三大学府と称された弘道館の価値を改めて学びたくなるような刺激を受けた講演でした。

第20期 ほこた塾 特別講座① 郷土史跡探訪 鉾田と水運 ー 河岸めぐり(2019年10月27日)

郷土史研究家の渡辺俊夫先生を講師にお招きして、かつて水運で栄えた河岸跡をめぐりました。

涸沼から北浦を結ぶ経路はいくつかあります。
涸沼の海老沢、宮ヶ崎、網掛の河岸については聞いたことがありました。それぞれ、巴川の大和田(吉影)、鳥栖、塔ヶ崎の河岸まで陸路で結ばれており、それぞれ、水戸藩、相馬藩、仙台藩が物資の輸送に利用していました。

【網掛にて】 現在は堤防が整備されていますが、かつては砂浜と青松のある美しい場所だったそうです。

本日の史跡探訪では以上に加え、守山藩(現 郡山市田村町守山)の所領であった松川陣屋(現 大洗町成田町)から、陸路で鉾田市の駒木根に向かい、そこから七瀬川(現 鉾田川)を下り、鉾田町内に至る経路を教えていただきました。鉾田にとってはこちらの経路の方が重要だったようです。松川陣屋が鉾田のルーツの一つであることを聞いたことがあり、なぜかと思っていましたが、それは至極当然のことと合点がいきました。

【駒木根にて】 ここで馬で運んできた荷物を艀(はしけ)に乗せ、七瀬川(現 鉾田川)を下って鉾田に運びました。

他にも、海老沢と紅葉を運河で結ぼうとして失敗に終わった勘十郎堀跡や、高瀬舟への荷物の積み替えが行われた串挽の新川岸を訪れました。

【勘十郎堀跡にて】 江戸時代の一大プロジェクトの遺構です。高低差の見込み違いで水が流れなかったとのことです。

【串挽(新川岸)にて】 高瀬舟が停泊し、人夫達が米俵を担ぎ込んでいる光景が想像されます。

普段何気なく通る場所に、水運とともに発展した郷土の歴史があることを知りました。これからは先人達の姿に思いをはせることにします。興味深い講座を有り難うございました。