2018年12月1日(土)9:00~11:30 天気:快晴
仲間づくり部会により「ほこたカルタを歩こう会 ー 無量寿寺とほこた道・とりのす道を歩く ー」を開催しました。鳥栖の無量寿寺を起点に、ほこた道・とりのす道の計 7 kmを歩きました。16名の参加がありました。
<ほこた道・とりのす道って?>
主に江戸時代に相馬藩、仙台藩によって使われていた物資輸送ルートです。米等を船で江戸に運ぶ途中、涸沼から巴川(北浦)まで馬で運ぶ陸送ルートがありました。昔は駄賃を稼ぐ人夫が大勢いたのでしょうね。
■ほこた道(相馬藩の物資輸送ルート)
涸沼(宮ヶ崎河岸)→ 舟木 → 冨田 → 巴川(鳥栖河岸)
■とりのす道(仙台藩の物資輸送ルート)
涸沼(網掛の仙台河岸)→ 宮ヶ崎原 → 舟木 → 冨田 → 鳥栖 → 巴川(塔ヶ崎河岸)
(なお、この他にも、涸沼(海老沢)と巴川(大和田)を結ぶ水戸藩の物資運搬ルートがあります。ここはまたの機会に。)
「ほこた道」と「とりのす道」は、冨田地内で近接します。今日は、鳥栖河岸跡から「ほこた道」を北上し、冨田地内の近接地点から「とりのす道」に移り南下、鳥栖新田から無量寿寺に戻るコースをたどりました。
<道中のもよう>

教法塚・・・1593年親鸞聖人の足跡を巡る旅の途中、鳥栖無量寿寺で客死した「教法」が、無量寿寺住職と新堀氏によってこの場所に葬られています。教法は一向一揆石山合戦(1570-1580)で織田信長軍と戦いましたが、新堀氏も無量寿寺から石山合戦に赴いており、教法とは戦友の関係にありました。
以上、行事のもようをお伝えしました。このような企画をこれからも行っていきますので、是非多くの方々に参加していただきたいと思います。いっしょに鉾田の歴史を再発見しましょう。