鉾田市まちづくり推進会議

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第20期 ほこた塾 特別講座① 郷土史跡探訪 鉾田と水運 ー 河岸めぐり(2019年10月27日)

第20期 ほこた塾 特別講座① 郷土史跡探訪 鉾田と水運 ー 河岸めぐり(2019年10月27日)

郷土史研究家の渡辺俊夫先生を講師にお招きして、かつて水運で栄えた河岸跡をめぐりました。

涸沼から北浦を結ぶ経路はいくつかあります。
涸沼の海老沢、宮ヶ崎、網掛の河岸については聞いたことがありました。それぞれ、巴川の大和田(吉影)、鳥栖、塔ヶ崎の河岸まで陸路で結ばれており、それぞれ、水戸藩、相馬藩、仙台藩が物資の輸送に利用していました。

【網掛にて】 現在は堤防が整備されていますが、かつては砂浜と青松のある美しい場所だったそうです。

本日の史跡探訪では以上に加え、守山藩(現 郡山市田村町守山)の所領であった松川陣屋(現 大洗町成田町)から、陸路で鉾田市の駒木根に向かい、そこから七瀬川(現 鉾田川)を下り、鉾田町内に至る経路を教えていただきました。鉾田にとってはこちらの経路の方が重要だったようです。松川陣屋が鉾田のルーツの一つであることを聞いたことがあり、なぜかと思っていましたが、それは至極当然のことと合点がいきました。

【駒木根にて】 ここで馬で運んできた荷物を艀(はしけ)に乗せ、七瀬川(現 鉾田川)を下って鉾田に運びました。

他にも、海老沢と紅葉を運河で結ぼうとして失敗に終わった勘十郎堀跡や、高瀬舟への荷物の積み替えが行われた串挽の新川岸を訪れました。

【勘十郎堀跡にて】 江戸時代の一大プロジェクトの遺構です。高低差の見込み違いで水が流れなかったとのことです。

【串挽(新川岸)にて】 高瀬舟が停泊し、人夫達が米俵を担ぎ込んでいる光景が想像されます。

普段何気なく通る場所に、水運とともに発展した郷土の歴史があることを知りました。これからは先人達の姿に思いをはせることにします。興味深い講座を有り難うございました。

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