鉾田市まちづくり推進会議

市民でまちをデザインする団体です。

第23期ほこた塾 第1回特別講座

第23期ほこた塾 第1回特別講座

【第23期ほこた塾・第1回特別講座】 2023年1月29日(日)
〜「温故知新」鉾田に住んだ先人から学ぶ歴史の足跡〜
をテーマに市内の史跡を巡りました。
鉾田市の郷土史研究家の渡辺俊夫先生が講師として案内してくださいました。
朝はこの冬一番の冷え込みでしたが、晴天に恵まれ、塾生以外の方も含めて22名が参加し、市の公用バスをお借りして大人の遠足気分で丸一日の学びを楽しみました。
①小宮山楓軒頌徳碑
小宮山楓軒は水戸藩の儒学者で、20年に渡り、貧しい紅葉地区の農村の暮らしを改善するために尽力した。任を終えて水戸に戻る時には、村人が総出で村外れまで見送ったという逸話がある。
②勘十郎堀跡
水戸藩から任された松波勘十郎が、江戸・東北間の物資輸送の重要な場所に運河をつくろうとした。
涸沼西岸の海老沢から北浦にそそぐ巴川流域の紅葉(旧鉾田町)に至る約10キロメートルの大地を人力で幅24メートル、深さ2〜30メートルも掘り下げる紅葉運河の大工事で農民たちは苦しめられた。やがて一揆に発展したとも言われ、完成にはいたらなかった。
③厳島神社⛩
旧旭村、子生(こなじ)の弁天様として親しまれる厳島神社⛩は江戸時代中期に安芸の宮島の厳島神社より分霊されたと伝えられている。鹿島海道沿い(現在、国道51号線沿い)から10メートルほど低いところに造られている。
子宝や安産にご利益があるとされる。
本殿の龍が掘られた一本造りの柱が見事。県の文化財に指定されている。
④徳宿の杜
廃校になった徳宿小学校を利用して作られた郷土の資料館。
古民具や、鉾田市内から出土した土器などが多数展示されている。現在は東京大学総合研究博物館に収蔵されている埴輪のレプリカ、東関東自動車道の工事の際に出土した縄文の火焔土器、梶山古墳群から出た石棺の中に入っていた勾玉や直刀など、貴重な展示品の数々は見応えがある。
⑤梶山古墳群
道路沿いにある3号墳は全長40メートルの典型的な前方後円墳。また、すぐ近くにある4号墳からは石棺が発見され、中には人骨の他、直刀や副葬品が納められていた。よほど力のある豪族が埋葬されたのではないかと考えられる。直刀の杷頭(つかがしら)は県内でも他に類を見ない。
⑥福泉寺
旧大洋村にある臨済宗妙心寺派の寺院。鎌倉時代末期に春日仏師が製作したと言われる檜作りの釈迦如来立像は国の指定文化財となっている。
また本堂の龍の天井絵も有名。
⑦白鳥の里
常陸風土記にある「白鳥の里」の場所だといわれている天台宗白鳥山大光寺 照明院(鉾田市中居)
「郡家の北三十里のところに、白鳥の里がある。昔、伊久米の天皇(垂仁天皇)の御世に、天より飛び来たった白鳥があった。朝に舞ひ降りて来て、乙女の姿となり、小石を拾ひ集めて、池の堤を少しづつ築き、夕べにはふたたび昇り帰って行くのだが、少し築いてはすぐ崩れて、いたづらに月日はかさむばかりだった。さうしてこの乙女らは、
白鳥の 羽が堤を つつむとも あらふ真白き 羽壊え
(小石を集めて池の堤を作らうとしても、白鳥の羽を抜いて積み上げるやうなもので、この真白き羽はすっかり損はれてしまった。)かう歌ひ残して天に舞ひ昇り、ふたたび舞ひ降りてくることはなかった。このいはれにより、白鳥の郷と名付けられた。(口訳・常陸国風土記 より)」
⑧大儀寺
旧大洋村阿玉にある臨済宗妙心寺派の寺院。松尾芭蕉と親交のあった仏頂禅師が開山した。俳句の寺として知られており、境内には全国から寄せられた俳人たちの句碑が200基近く並んでいる。端正な顔立ちだった仏頂禅師は、女性を避けるためにいつもしかめっ面をしていたことから「仏頂面(ぶっちょうづら)」という言葉ができたかも知れないという逸話もある。
今も鉾田市に息づいている「歴史」を堪能しました。
*次回の特別講座は2月26日(日)に県北地域を訪ねる予定です。
みなさまのご参加をお待ちしています。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)